ヨガ哲学とは?八支則(アシュタンガ)から学ぶ“苦しみとの向き合い方”

ヨガを、ただ体を動かすものだと思っていませんか?

ヨガといえば独特なポーズをとるイメージが強いですが、本来は「どう生きるか」という哲学を、日常に落とし込むための手段です。

  • ヨガの目的は心の動きを鎮めること
  • その目的に向かう実践のプロセスが、「八支則(アシュタンガ)」
  • アーサナ(ポーズ)はそのうちのひとつ

私は今、RYT(全米ヨガアライアンス認定資格)の講座を通して、ヨガの本質=ヨガ哲学を学んでいます。

まだまだ学びの途中ですが、「知ってよかった!」と心から思える気づきがたくさんあります。

だからこそ、この学びを自分の中にとどめておくのではなく、アウトプットすることでより深めていきたい。

そして、誰かの気づきや心の支えになれば嬉しいなと思いながら、この記事を書いています。

ここからは、私なりの言葉で理解したヨガ哲学の全体像をシェアさせてください。

目次

ヨガ哲学とは?自分という“複雑な存在”と向き合うための土台

ヨガ哲学の柱となるのが、「八支則(アシュタンガ)」と呼ばれる実践のステップです。

それは、“こうすれば正しく生きられる”というマニュアルではなく、日々揺れ動く心を静かに整えるための道しるべのような存在です。

八支則(アシュタンガ)の構成

ヨガの目的は「チッタ・ヴルッティ・ニローダハ」――

つまり、心のざわつきや思考のクセを鎮めていくこと。

その目的に向かうための実践として、八支則は次のように構成されています。

名称内容
ヤマ他者との関係で大切にしたい姿勢(非暴力、正直など)
ニヤマ自分との関係で育みたい在り方(清らかさ、満足、自律など)
アーサナ心身の安定と集中を養い、瞑想に向けた土台をつくるための練習(ポーズ)
プラーナヤーマ呼吸を通じて生命エネルギー(プラーナ)の流れを整え、意識と体の調和をはかる
プラティヤハーラ感覚の刺激から意識を引き離し、内側に向ける実践
ダーラナ意識をひとつの対象に集中させる練習
ディヤーナ自然に集中が続いていく瞑想状態
サマーディ本来の自己(プルシャ)とつながる統合された意識状態

八支則は、しばしば“ステップ”として紹介されますが、本来は「一本の幹から伸びる8つの枝」という意味を持つものです。

どこから始めてもいいし、すべての実践が、やがて同じ幹――つまり「心の静けさ」や「本当の自分」へとつながっていきます。

どこからでも始められるのがヨガのやさしさ

ポーズ(アーサナ)から入る人もいれば、呼吸(プラーナヤーマ)や瞑想(ディヤーナ)から始まる人もいる。

あるいは、人との関わり方(ヤマ)や、自分との向き合い方(ニヤマ)を通して気づきを得る人もいるでしょう。

ヨガでは、順番や完璧さを求める必要はありません。

今の自分が取り組めるものから手を伸ばしてみること――。

それがヨガ哲学の優しさであり、本質なのだと思います。

中でもアーサナ(ポーズ)は、現代ではもっとも広く知られているヨガへの「入り口」。

でもそれは、ただ体を柔らかくしたり、美しく見せたりするためのものではなく、内面へと意識を向けるための実践のひとつとして、ヨガ哲学の中に位置づけられているのです。

八支則(アシュタンガ)の誤解と苦い経験

私自身、ヨガ哲学を学び始めたとき、「まずはヤマ・ニヤマから始めなければ」と真面目に受け止めすぎて、その難しさに圧倒されたことがあります。

  • 誰かを傷つけないこと
  • 正直に生きること
  • 奪わないこと
  • 欲に流されないこと
  • 執着を手放すこと

ひとつひとつはシンプルですが、言葉の奥深さに気づいたとき、実践することの難しさに直面するのです。

理想と現実のギャップに戸惑い、「私は全然ダメだ」と愕然としたこともありました。

でも、だからこそヨガは「今の自分から始められる」ようにできているのだと、今では思います。

ポーズから入る人もいれば、呼吸から、瞑想から、あるいは人との関わり(ヤマ)から気づきを得る人もいる。

そして、どれかでつまづいた時には、ほかの実践がヒントをくれます。

ポーズがうまくとれないと感じたら、無理せず呼吸に意識を向けてみる。

瞑想が続かないなら、まずは「執着しすぎていないか」とヤマの教えを見直してみる。

人との関係で心がざわついたときには、ヤマの非暴力や正直さに立ち返ってみる。

ストレスを感じたら呼吸に集中してみる。

ひとつひとつを完璧にして次に進むのではなく、そのときどきの自分の状態に合わせて、どれを実践するか選べばいい。

そうして少しずつ、自分なりのペースで整えていくことで、やがてどの枝も同じ一本の幹へと自然につながっていくのだと思います。

プルシャとプラクリティ──“本当の自分”に立ち戻るために

ヨガ哲学には、「プルシャ」「プラクリティ」という大切な概念があります。

  • プラクリティとは、私たちの肉体や感情、思考のように、常に変化し続けるもの
  • プルシャとは、変わることのない純粋な意識、本当の自分

多くの人が、日々の忙しさの中で、プラクリティ――つまり「揺れ動くもの」に翻弄されながら生きています。

感情や思考に引きずられたり、他人の価値観に振り回されたり、自分でも気づかないうちに“本来の自分”を見失ってしまう。

ヨガの実践とは、この揺れる世界(プラクリティ)から、一度静けさの中に身を置き、プルシャという本質に立ち戻る練習だと教えられています。

それは、なにかを達成するためではなく、「自分の本質がどこにあるのか」を思い出すための時間なのかもしれません。

苦悩と向き合う勇気もまた、ヨガの実践

怒り、妬み、不安、執着――
どんなに隠そうとしても、心は常に揺れ、感情は波打ちます。

そして私たちは、その波にのまれ、振り回され、自己嫌悪に陥ることもあります。

ヨガは、そんな自分の状態を客観視する視点をくれる哲学

気づき、受け入れて、少しずつ手放していく。

そのための道です。

でも私は、この言葉に時折、違和感を覚えることがあります。

なぜなら、“受け入れる”という行為は、自分が見たくなかった部分――利己的な欲望や未熟さ、醜さ――を真正面から認めることでもあるからです。

  • 誰かに認められたいという承認欲求
  • 思い通りにしたいというコントロール欲
  • 他人より優位に立ちたいという競争心

そういった感情に、ある日ふと「それ、私の中にもある」と気づいてしまう。

その瞬間は、正直に言って苦しいし、自分にがっかりもします。

「本来の自分」と「現実の私」

インドの聖典には、「人間の本性はやさしさそのものである」と説かれています。

本来の私たちは、慈悲にあふれ、静かで、やさしい存在。

愛や慈悲にあふれた純粋な意識こそが、本質としての「私」であると。

でも現実には私の心は欲を持っていて、その欲によって他者を責めたり、陥れてしまうことさえある――。

ヨガでは「心=自分ではない」と教えます。

「本来の自分(プルシャ)」と、「揺れ動く心(チッタ)」を混同しないようにと。

けれど、実際には心に乗っ取られた私がしてしまった言動があり、傷つけてしまった人がいる場合。

それもまた、現実だということを受け止めなければなりません。

それでも見つめ続ける。その先に「納得」がある

自分の中の醜さに気づいたとき、それを受け入れることは簡単ではありません。

それなのに「早く手放さなきゃ」と焦ってしまうと、かえって蓋をしてしまい、苦しみに気づくどころか心を閉ざしてしまうこともある。

そして、その苦悩は姿を変えて、また別のかたちで何度でも目の前に現れるのです。

ヨガ哲学は、そんなときにこそ、「気づき、問いかけ、納得するまでとことん見つめる」――そんな道のりを静かに示してくれます。

「腑に落ちる」ことが、手放すことにつながる

  • なぜ私は、そこまで執着してしまったのか?
  • なぜ私は、その言葉に深く傷ついたのか?
  • なぜ私は、「こうあるべき」に苦しんでいたのか?

そうやって問いを立て、奥へ奥へと掘り下げていくことで、やがてほんの少し「ああ、そうだったのか」と腑に落ちる瞬間が訪れます。

目をそらさずに見つめることで、少しずつ、“なぜそれを求めたのか”という背景までたどり着けるようになっていく。

ヨガ哲学はそんな風に、納得しながら少しずつ心の輪郭を取り戻すための視点を、私にくれました。

その先にようやく、不要な思考を静かに手放せる感覚が生まれてくるのかもしれません。

心の波にのまれず、ただそこに在るために

苦しみがある自分を否定しないこと。

認めたくない感情に目をそらす前に、一歩引いて見つめること。

客観的な視点で、真実を見極めること。

そして、再びプルシャ――本来の静かな自分に立ち返ること。

これらすべてが、ポーズでもマットの外の生活の中でも、ヨガの実践につながっているのだと、私は思います。

おわりに|ヨガ哲学は“気づき”の連続

ヨガ哲学は、癒されるための学びというより、本当の意味で自分を知るための気づきの連続だと思います。

すぐに正解が見つかるわけではないし、気づいたからといって、すべてが解決するわけでもありません。

それでも、「そうか、これが私の心の反応なんだ」と知っているだけで、人との関わりも、自分との付き合い方も、少しずつ変わっていく気がします。

私自身まだまだ学びの途中ですが、だからこそ、こうして言葉にすることで自分を整理しながら、この道をともに歩く誰かと、静かに気づきを分かち合うことができたらうれしいです。

自分と向き合う時間を、日常の中に──

ヨガ哲学を知れば知るほど、「気づき」は日々の暮らしにこそ息づいていると感じます。

その入り口として、アーサナ(ポーズ)を通じて自分の“今”に気づく時間は、とても大切な練習です。

ホットヨガスタジオLAVAは、全国にスタジオを展開している国内最大級のヨガスタジオ。

初めての方でも通いやすいプログラムや、リラックスできる空間づくりが整っていて、
「ただポーズをとる」のではなく、「自分の内側と静かにつながる」時間を大切にできます。

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